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洗心会報20110616 「嘉祥(かじょう)」

洗心会の皆様・サポーター・松浦社中の皆様

洗心会報20110616 「嘉祥(かじょう)」_d0162246_132914100.jpg■6月16日は「和菓子の日」です。ご存じでしたか?
起源は「嘉祥(かじょう)の儀式」がおこなわれるのが6月16日だったからです。
嘉祥、けっこうしっかりした起源ですので、ここにご紹介いたしますね。

西暦848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇が御神託(神様のお告げ)により、6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、疫病を除け健康招福を祈誓し、「嘉祥(かじょう)」と改元した古例にちなみます。(つまり「元号」になっているのです!「平成」のように…)

「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」。鎌倉時代には、のちの後嵯峨天皇が東宮となられる前に、6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じそれを吉例とし、皇位継承の後もこのことが続けられました。
その後、室町時代の『嘉祥の日』には、朝廷で主上に「かづう」(女房言葉で「かつう」「かずう」ともいい、「嘉祥の祝」の菓子のこと)を差し上げるのが吉例であったことが『御湯殿上日記』に記載されています。
洗心会報20110616 「嘉祥(かじょう)」_d0162246_16101544.jpg(御湯殿の上の日記は、清涼殿に侍した女官の業務日記で、禁中の日常や専門用語を知る好資料。15C後半から江戸末期まで現存)また、慶長の頃は豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことが『武徳編年集成・四十四』に記載されています。江戸幕府においては、この日、大名、旗本など御目見得以上の諸士に大広間で菓子を賜り、これを「嘉祥頂戴」といい、菓子は白木の片木の上に青杉の葉を敷いてその上に積んであり、一人一個ずつ取らせたといわれます。
民間においても、「嘉祥喰」といって十六文で菓子や餅十六個を求め食べるしきたりがありました。
菓子を持ち寄って食べるならわしもあったそうです。
また、この夜に十六歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をする「嘉祥縫」という風習があったほか、6月16日に採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に食べると災難をのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」といいました。

このように、「嘉祥の祝」は、疫を逃れ、健康招福を願うめでたい行事として歴史の中で受け継がれ、明治時代まで盛んに行われていました。この『嘉祥の日』を現代に復活させたのが「和菓子の日」
だそうです。
【参考:和菓子協会HPhttp://www.wagashi.or.jp/wagashinohi/

宮中から始まり、幕府が受け継ぎ、庶民へと浸透した嘉祥(かじょう)の習慣。
明日は16にこだわって、神様に捧げる気持ちで一服を点て、みんなで和菓子を食べて、厄を払いましょう!
(とはいえ、一人あて16個のご用意はございません。アシカラズ(笑))起源になった宮中行事にちなんで造られた、明日限定販売のお菓子を(多めに)予約しましたのでお楽しみに。
   宗光拝

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松浦 宗光(ひかり)
102-0084 千代田区二番町9-2-401
http://hsuzuki.exblog.jp/紀尾井町茶道倶楽部 洗心会 主宰
稽古場 千代田区紀尾井町清水谷偕香苑
http://tokyosadou.exblog.jp/ (ブログ)
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by tokyo-sadou | 2011-06-16 00:23 | 会報バックナンバー
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