初午にちなんで

2月2回目の稽古は「初午」にちなんで楽しみました。
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玄関の飾りは横山大観「神心」の扇面、初午の升に、椿の葉を詰めてお稲荷さんのミニ破魔矢を立てました。隣には埴輪の「午」を。「杉の葉のしるし」のかわりに立日蔭。
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稲荷神社にちなみ、鈴の香合。
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「寿山萬丈高」は妙喜庵(みょうきあん)武田士延筆。
花は連翹と加茂本阿弥。
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脇床にお供物とツボツボ。
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お菓子は梅花亭製の狐面で銘は「初午」。(誂え)
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小間の床には金柑の実を。
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お稽古は普段通り。

そうそう、恒例(吉例?)の吉森先生お手製のおにぎりは「お稲荷さん」で、お供えを兼ね7種の具を入れました。写真がありません。

見学者も見えて楽しい雰囲気の一日でした。
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稽古手帳から

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社。旧称は稲荷神社でしたが、全国にある「お稲荷さん」と呼び分けるためにこの名前になりました。
現在は神社本庁に属さない単立神社であり、稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体が神域です。
全国に30,000社あるという身近な神社、「お稲荷さん」の総本宮がこの伏見稲荷大社です。
その稲荷信仰の原点が、稲荷山。稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)
2月初午の日のこと。その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えています。
「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として、全国津々浦々に至るまで広く信仰されてきました。
「稲荷 」(イナリ)は、イネナリから、稲を生育させる信仰として生まれたと言われています。
「庶民の信仰の社」であり、「神様と自然と人とが共生する社叢・稲荷山」ということです。

初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集めています。(日本国内第4位とか)
稲荷山には信者から奉納された約1万基の鳥居があり、特に千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ時代劇のロケ場でもお馴染の名所となっています。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったようです。

初午大祭(はつうまたいさい)
稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座になった和銅
4年2月の初午の日をしのび、大神の広大無辺なるご神威
を仰ぎ奉るお祭で、2日前の辰の日に稲荷山の杉と椎の枝
で作った“青山飾り”をご本殿以下摂末社に飾りこの日を
迎える習わしがあります。
初午詣は、福詣とも呼ばれ、前日の巳の日から、ご社頭は
参詣者で埋まり、京洛初春第一の祭事とされています。
また社頭で参拝者に授与されている「しるしの杉」は商売
繁盛家内安全の御符(しるし)として、古くから拝受する
風習が盛んです。
平安時代も中期以降になると、紀州の熊野詣が盛んとなり、その往き帰りには、必ず稲荷社に参詣するのが習わしとなっていて、その際には、稲荷社の杉の小枝=“しるしの杉”をいただいて、身体のどこかにつけることが一般化していました。
『為房卿記』という文献には、永保元年(1081)10月、藤原為房が熊野詣の帰途、稲荷社に参詣し、杉枝を伐って笠に差し、京に入ったことが記録されています。
また、平家の勢いが頂上にさしかかろうとする平治元年(1159)12月10日、平清盛が熊野参詣の途中、京からの早馬が追いつき、前日に三条殿へ夜討があり御所が焼亡した、これはおそらくは平家を討とうとするたくらみに相違ない、という知らせが届いたので、清盛は急ぎ京へと引き返します。このような火急の際でもやはり「先づ稲荷の社にまいり、各々杉の枝を折って、鎧の袖にさして六波羅へぞつきにける」と、「保元の乱」に続く「平治の乱」の幕開けの模様が『平治物語』(古活字本)に記されています。初午大祭の際に社頭で参拝者に授与される「しるしの杉」は、平安時代から和歌によまれ今日もなお、商売繁盛・家内安全のしるしとして、拝受される習わしがありました。
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by tokyo-sadou | 2013-02-22 13:41 | 稽古場日記
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